
今回インタビューをしたのは、kern inc.のデザイナー / アートディレクターのタカヤ・オオタさんです。
タカヤ・オオタ | kern inc. デザイナー / アートディレクター
立教大学経営学部卒業後、monopoに入社し、コーポレート・アイデンティティから Web デザインまで幅広いクライアントワークを担当。その後、peroli (現在は株式会社MERY) のアートディレクターを経て、TKY+N LAB & DESIGNを立ち上げる。現在では、社名を変更し、kern inc.にてスタートアップ企業と協業しアイデンティティ・デザインの設計・制作に従事する。
今回はそんなタカヤ・オオタさんがキャリアを切り拓く中で、どんな選択をしてきたのか。CIデザインを扱うデザイナーに求められるマインドセットやスキルを紐解きます。
生まれは沖縄で、高校まで沖縄の公立学校に通っていました。中高生の頃はデザインや美術と関わることも少なく、美術の成績はずっと2でした。毎回の授業で絵を描いたり、造形をするのが苦痛でしたね。
そんな中、高校2年くらいの時に、突然日々の生活に嫌気が差したんです。家と小中高が近所だったので、物心ついてからずっと同じ光景をみながら暮らしていたのですが、「このまま卒業して、自分の人生がこの半径5kmとか10kmで終わってしまうのかな」と思い、すごく怖くなりました。このときに「将来の想像がつく人生はいやだ」と思うようになったのは大きな転換点でした。
そこでどこか違うところへ行きたいと思い、親に相談したところ「ここ(地元)でやること以上に価値を感じることがあるならいいよ」と言ってくれて、上京を目指して東京の大学を受験しました。
大学の新歓で、フリーマガジンのサークルの人に声をかけられたんです。地元では見たことのない華やかな人たちがたくさんいました。「このサークルに入ったら、こんな東京っぽい人たちと仲良くできるのか〜」、みたいなフワフワとした動機で入部を決意しました。笑
そこは、文章を書く人、写真を撮る人、デザインを作る人というように役割が分かれていたのですが、写真を撮ったり文章を書くのは、高校から続けている人が多かったんです。大学のサークルで、高校の時よりも規模の大きなものを作って、ゆくゆくは出版社に行きたいとか、記者になりたいという人が入ってくることを、僕はサークルに入った後に知ってしまった。そもそも僕の高校には写真部も新聞部もなかった気がします。空いてるポジションがデザイナーしかないと言われたので、そこからデザインを学び始めました。
最初はフリーマガジンを作るために、Photoshop、Illustrator、InDesignの基本操作を本で勉強したり、先輩から学びました。なので僕はDTPからデザインを始めました。
大感動でしたね。初めて自分たちで冊子を完成させて、配布したのですが、「オオタくんってこんなこともできるんだ!」と褒められ、衝撃を受けました。自分でもこんなに人を喜ばせたり驚かせることができる存在になれるんだ、と。
僕は学生のときからコミュニケーションが苦手だったのですが、デザインを介すると人と話せるということに気づいたんです。フリーマガジンを渡した時に、「なんでこういうテーマなんですか」、と聞かれることが多くなりました。そのとき、人に作品の背景を伝えたいという欲が初めて湧き、デザインについて人と話したいと思うようになりました。
今まで自分になかった感情が一気に沸き起こったのが衝撃的で、デザインにズッポリハマるきっかけだったと今でも思います。

僕が「monopo」に入ったのは創業3年くらいのときで、Webデザインから事業立ち上げ時のロゴデザイン、名刺のデザインまであらゆる案件を担当しました。在籍中に担当していた案件、数えてみたら70件くらいありました。

当時はかなり嫌なやつだったと思います。誰にも頼りたくない、全部自分でやってやるって気持ちが強かったです。今でこそ総合大学出身のデザイナーって増えてきましたが、その頃は美大出身や広告代理店でクリエイティブをやっている人が圧倒的に多くて。経営学部出身の僕はマイノリティだったからこそ、周りに頼らず強くなりたくて、がむしゃらに働いていました。
そうですね、monopoで働いた2年間でデザイン事務所ならではの良いところを経験させてもらったことで、次の課題も見えて。
まず制作会社の良いところとして、場数がたくさん踏めるんです。1ヶ月に3,4案件くらい同時並行で進めながら、そのたびに異なるトンマナやレイアウトを考え、新しいデザインに挑戦しました。この時期に色々なトーンに挑戦したおかげで、自分の中に引き出しを増やせたと思います。
今でも「自分の色を押し出すデザインをしない」ことが制作の第一指針なのですが、それもこのときの経験が背骨になっています。
他方、多くの機会をもらってデザインの経験を積んでいく中で、自分の手から離れたあとのプロジェクトに「自分だったらこうするのに」と感じる場面も増えていきました。しかし、最終的な意思決定はクライアントが行うものです。自分も1つの事業に長期的に関われるように、事業会社で仕事がしてみたいと考えるようになり、リブランディングの担当をした女性向けメディア「MERY」を運営するperoli (現在は株式会社MERY) への転職を決めました。
peroliから「リブランディングをしたい」という相談がmonopoにきて、パートナーとして一緒に仕事をしていました。当時のperoliに対しては、「スタートアップでもブランデイングに人員と資金を投資し、大事にしているのだな」と新しい価値観に触れました。monopoでもスタートアップの案件をいくつか経験していましたが、この頃はリブランディングという形でブランドに投資をするスタートアップがまだ少なかったので、強く印象に残っていました。
また一緒に仕事して、どういう人が所属しているか把握できたため、安心感がありました。当時、他社の事業会社とつながりが少なく、自分からアプローチをすることが難しいと感じていました。調べてみて分かることもありましたが、異なる環境に飛び込むことへの不安をかなり感じていたのを覚えています。
デザイナー以外の人と話す職場が初めてだったんですよね。これまでの仕事の進め方って、ディレクターが案件の要件をまとめてきて、その後デザイナーに共有するというミニマムなチームだったので。
でも、peroliでは他のデザイナーやエンジニア、編集、営業など色々なチームの方と関わってひとつの成果物を作っていくことになって。デザインスキル云々の前に、コミュニケーションなど、社会人としての基本的なスキルを意識するようになりました。
僕はMERYの新しいロゴやアプリアイコンをはじめとする、ブランドアイデンティティの構築を担当したのですが、改めて「ここまでブランドに投資しているのか」と衝撃を受けましたね。
この頃から今後ブランドに力を入れる会社は増えてくるだろうとは感じていました。その会社がどんな思想を持っていて、今後どうなっていきたいのか。どういうアイデンティティを作りたいのか。そんなところから考えていくデザインはクオリティも上がりますし、長く使われるものになるという実感を持てたんです。
元々僕は、自分の勝てることで勝負したい性質なので、「制作会社と事業会社の両方を経験しているデザイナー」という希少性を保ってキャリアを伸ばしていきたかったんです。
社会人になった頃から、いつも「自分のキャリアってこのままでいいのかな」と考え続けていました。美大や広告代理店に行った人のキャリアプランを追っていると30歳で独立している人が多く、それなら自分はもっと早いペースで進まなければ負ける、と思いました。
「独立」というと重くて勇気が必要なんじゃないかと聞かれることもありますが、僕はあまり重く考えすぎないようにしていました。リスクもありますし、突然仕事がなくなる怖さもありますが、より自分の成長につながる環境だったからというのが理由です。
非美大の僕は、学生時代から美大で体系的にデザインを学ばれた方々や、広告代理店で大きなプレッシャーの中で働かれている方々と、制作能力だけで比較されると負けてしまいます。そんな中で勝つためには、いろんな選択肢を短い時間で取って、積極的に他の人にはない経験を積んで、市場で空いているニーズを計画的に狙ったり、最善の選択をしたいと考えています。だから、転職や独立のリスクを重く見るというよりは、常に「より選択をできているか」ということを強く意識しています。そんな想いで設立した会社が、「TKY+N LAB & DESIGN」でした。
monopoに在籍していたときから独立まで数年ありましたが、振り返ってみるとコンセプトから制作に入ったサービスやロゴの方が残っていることが多くて、数年経って見返してもいいものを作れたと思えるものが多かったです。なので、自分の事務所も、単に意匠を制作するだけではなく、コンセプトやテーマ設計から担当させていただく事務所にすると決めていました。
企業がブランドに貢献するアプローチをしたいと考えたときに、企業の存在意義を定義するCI(Corporate Identity)がとても重要ですが、市場にプレーヤーがまだ多くないと感じていました。今後、スタートアップもブランドに投資していくとき、一つ上のレイヤーから携われるというのは市場の中での希少価値になると思い、その想起をこの事務所が取りたいと考えました。
社名をkernに変更した理由は、TKY+N LAB & DESIGNを立ち上げて、1年くらい経った頃でした。1年間案件をやってみると、単価の上限とか、売上のアッパーが見えてきて、これを1人で5年とか10年とかやるのかと思うと絶望したんです。なので、しっかりと人を入れて、属人性を取り払った組織にしたいという意思を込めて社名を変えました。
僕の場合、未来が読めてしまうことが絶望に繋がると感じていて、東京に出てきたのも、絶望したことがきっかけでした。自分の頭の中で描けてしまう未来ではないものに行きたくて、自分の想定にはない選択をとってきたというのはありますね。

僕がデザイナーとして仕事を始めた2014年に比べると、デザインの定義がすごく様変わりしています。当時は、「デザイナー=アウトプットの形を作る人」という認識がありました。
アイデンティティ・デザインという仕事の中で、最も重要なのは作る以前の考える時間です。ヒアリングを通して相手の頭の中にあることを引き出したり、自分の頭にない知識をリサーチを通して得ることで、アイデンティティを作る作業の土台を固めていく。そうした見た目のデザイン以前のデザインの大切さをすごく実感しています。とはいえ、相手が言葉や身振り、表情などで伝えてくるものを、的確な形に落とすためには、僕が本来「デザイン」だと思っていた「作ること」も当然大事な作業です。僕はこの2つをを両立させるデザイナーになりたいと思います。
デザイナーという言葉の定義が広がり、世の中でデザインに携わっている人が増えると、「手を動かす」という意味でのデザインから、価値が失われていくように感じる人もいるかと思います。僕は青写真を描くような考えるデザインも大事だと思う一方、いくら言葉で説明できても、形として提示できないと意味が無いと思うので、手を動かして形に表現するデザインもすごく大事だと考えています。
僕もたまに転職相談を受けますが、悩んでいることを行動に移すことが大事だと思うんですよね。「転職したいかも...」と、自分の働き方やキャリアに疑問を持った時点で、その違和感を抱きながら働くのは勿体無いと思っています。年齢や、立場など様々な課題もありますが、粘り続けて得られる価値よりは、経験していないことを早く掴みにいくべきじゃないかなと個人的には考えています。それはもしかしたら凄くいい選択かもしれないし、イマイチな結果かもしれないけど、自分の中で評価軸を持つことが、そのあとのキャリアに強く響いてくると思うので、恐れずどんどん新しい選択をしていってほしいです。
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ReDesigner
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