起業がキャリアに与える意味とは?takejuneさんが歩むデザイナー→ディレクター→ファウンダーの変遷
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インタビュー

起業がキャリアに与える意味とは?takejuneさんが歩むデザイナー→ディレクター→ファウンダーの変遷

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今回キャリアについてお話を伺ったのは、デザイナーのtakejuneさん。デザイナーとして事業開発を、ディレクターとしてプロダクト開発を経験したのち、2012年4月に取締役兼デザイナーとしてFablicを共同創業。日本初のフリマアプリ「FRIL」(現ラクマ)をリリースし、デザインチームの立ち上げ、事業売却を経て、現在はエンジェル投資家と起業家をつなぐ「ANGEL PORT」のCo-Founder/CDOとして様々なフェーズを経験されています。 2000年代にインターネット業界でキャリアをスタートした彼の原点や、デザイナー視点での創業ストーリーなど、キャリアの変遷を辿ります。

takejune | Fablic,Inc. Co-Founder / Designer / Product manager / Angel Investor

名古屋芸術大学デザイン学部デザイン科デザイン造形実験(現メディアデザイン)コース卒業後、ECナビ(現VOYAGE GROUP)にサービスデザイナーとして新卒入社。新規事業やコーポレートデザインに携わる。その後、ライブドアに開発ディレクターとして転職し、新規サービスの企画・開発に携わる。取締役/デザイナーとしてShota Horiiさん(@shota)、yutaさん(@yutadayo)と共にFablicを共同創業。日本初のフリマアプリ FRIL(現ラクマ)をリリース。その後、楽天買収へ売却。Fablic退任後、スタートアップの相談を数十社受け、ANGEL PORTをリリース。

twitter : https://twitter.com/takejune
note : https://note.mu/takejune

小学生でインターネットと出会い、デザイン科へ

── 本日はよろしくお願いします。まずtakejuneさんがデザインに興味を持ったきっかけについて教えてください。

絵を描くことは子どもの頃から好きだったのですが、当時周りで誰もインターネットを知らない小学生の頃からパソコンに触れていたことは、デザインに興味を持つきっかけとしては大きかったのではないかと思います。僕の家では夜の11時から明け方まで定額でインターネットが使える「テレホーダイ」を利用していたので、深夜はインターネットにどっぷり浸かっていましたね。Photoshopで絵を描いたり、イラストサイトやテキストサイトを作るなんてことをやっていました。

美大に入ろうと思ったのは、高校の中間テストで一夜漬けをしていた時です。勉強していたはずなのに、気づいたら超大作のイラストを仕上げていたんです(笑)。その時に「これは普通の勉強をするより、美術系の大学に行った方がいいんじゃないか」と思い、高校2年生の夏休み明けから美大受験の予備校に通い始めたんです。

予備校には同い年なのに、絵が死ぬほど上手い人たちがたくさんいました。僕は絵が描きたくて美大進学を決めたはずでしたが、この人たちと画力で戦っても敵わないなと思い、ファインアート科ではなくデザイン科を受験することにしました。写真よりも上手に絵が描けるような人がザラにいる世界で、画力だけで食べていくのは難しいと高校生ながらに感じてデザイン科を選んだんだと今では思います。周りの友達もデザイン科志望が多かったですね。現役で名古屋芸術大学デザイン学部デザイン科に合格して、デザインを本格的に学び始めました。

── 大学のデザイン科では何を学ばれていたんですか?

1、2年生はグラフィックデザインからプロダクトデザインなど総合的なデザインについて学びました。3年生からはデザイン造形実験コース(現メディアデザインコース)に専攻を変えて、映像やFlashなどデジタル系の作品を作っていました。1、2年生で学んだ総合的なデザインもおもしろかったですが、小学生の頃からデジタルなものづくりに触れていたので、改めて自分が得意なことをやった方がいいなと思ったんです。制作の中でも、当時いちばんおもしろかったのはFlashですね。デジタルかつインタラクティブな作品を作ることが好きでした。

インターネット業界のデザイナーは花形じゃなかった

就職活動の軸を決めたものの、当時、僕が住んでいた名古屋で「大勢が見るもの×デジタル」という条件を満たしていた企業は少なかったんです。 ある時、東京の会社が名古屋までわざわざ会社説明会をしに来ていたので、気になって参加してみました。それが現VOYAGE GROUPのECナビでした。当時、インターネット業界の事業会社が名古屋で説明会をするなんて珍しかったんです。それで興味を持ってコーポレートサイトを見てみると、Flashも使われていて「こんなものを作れたらおもしろいだろうな」と感じました。

説明会に参加してみると代表の方が僕と同じ町出身だったことが分かり、ご縁を感じて選考を受けました。するとトントン拍子に選考が進んで、内定をいただくことができたんです。他にも数社の内定はいただいていたのですが、最終的にVOYAGE GROUPに新卒で入社しようと決めたのは、社員が楽しそうに仕事をしていたからです。 今思えば「楽しそうに仕事をしていた」背景には、2007年はインターネット業界がどんどん伸びていくタイミングで盛り上がり始めていたこととや、社員が事業にコミットする独自のカルチャーがあったからだと思います。

── 新卒からデザイナーとしてキャリアをスタートできたのですか?

もちろん、内定をいただいた時から「デザイナーで入社したい」と伝えていました。 でも、入社して初めて渡された名刺には「プランナー」と書いてありました。いわゆる営業職ですね(笑)。最初の配属先はポイントサイト を運営する子会社で、受注が取れたらデザインをしていいよって言われたんです。そのくらい、当時のインターネット業界自体が、新卒でデザイナーを採用することが少なかった時代でした。 当時、美大生の花形といえば、多摩グラ(多摩美術大学 グラフィックデザイン学科)を出て、広告業界に入ってクリエイティブディレクターになるキャリアに誰もが憧れる時代。インターネット業界のデザイナーは、今のように注目されていませんでした。2000年代はガラケー全盛期だったので、それも当然だと思います。むしろデザイナーはオペレーターのような仕事が中心で、あまり裁量権もありませんでした。

「プランナー」という最初の仕事には内心びっくりもしましたが、反発はしませんでした。「営業職のことも知っておいた方が、デザイナーになった時に役立つかも」とポジティブに受け止めてまずは、プランナーに打ち込みましたね。2ヵ月くらいプランナーをやってようやく受注が取れたので、デザイナーとしてチームに迎えてもらうことができました。

瞬時にユーザーの反応が分かる、Webサービスの魅力

初めてデザイナーとして配属された新規事業チームには、エンジニアリングをリードしている人やデザイナーの先輩がいたので、業務の基礎は彼らに教わりました。中高生からサイトなどは作っていたものの、テーブルコーディングしか知らなかったので、最新のマークアップやUIの基礎知識については全くわかっていませんでした。だから最初はめちゃくちゃなデザインばかりしていましたね。でもどんどん仕事は振られるので、その場では「あ〜< div>ですね、知ってます」みたいに知ったかぶりをして、裏では本を読み込んでいました。多分、先輩たちにはバレていたと思います(笑)。

takejuneさんが新卒時代に制作したWebページ

その後デザイナーとして、新規サービスの立ち上げを3つほど経験しました。その中でWebサービスの魅力を知り、瞬時にユーザーの反応がフィードバックとして返ってくることに衝撃を受けました。例えば、僕が作ったキャンペーンバナーをトップページにアップした瞬間、それをクリックして大勢のユーザーが押し寄せてくるのが管理画面から見れたりとか。自分がデザインしたものから新しい利益が生まれることで、デザイナーもお金が生み出せることを実感できましたし、何よりフィードバックがすぐ返ってくることが新鮮で、これってWebならではのやりがいだなと思いました。

takejuneさんが新卒時代に制作したWebページ

僕の友人に自動車のデザイナーがいるのですが、ユーザーからフィードバックが来るまでに2〜3年かかると聞いたことがあります。Web上のサービスなら、昨日作って今日リリースして、その場でユーザーからのフィードバックが来るので、反応が瞬時に分かりますよね。その違いが、新卒の頃は大きな衝撃でした。

自分がやっている仕事に対して「これが本当のデザインじゃん」とも思って、楽しくてどんどん仕事にのめり込みました。他にも、たまたま社内で声をかけてもらって「コーポレートデザイン室」という社内カルチャー作りのチームでオフィスデザインをしたり、社内の表彰制度やトロフィーを作ったりもしましたね。

のちにFablicを共同創業することになる堀井翔太と堀井雄太とは、この頃にVOYAGE GROUPで出会った新卒同期なんです。平日は一緒に働き、毎週土曜日はゲームをするために集まっていたんですが、ある時それに飽きてしまい「ゲームじゃなくて自分たちでサービスを作ろう」と、週末にサービスづくりを始めたんです。

当時プライベートで作っていたサービス

── 居心地のいい環境から、どういう思考の変化で次に行こうと思ったのですか?

VOYAGE GROUPには新卒ながらたくさんチャンスを与えてもらいました。社員もいい人たちばかりで居心地も良く、新卒で入る会社としてはあたりを引いたと今でも思っています。 VOYAGE GROUPでは事業開発については学ばせてもらっていましたが、プロダクト開発の経験をしてみたくなったんです。自分でサービスを作ってみたいという若気の至りだった部分も大きくて、「自分で作った方がイケてるものが作れる」と。今思えば大きな勘違いだったんですが(笑)。

そんな時に出会ったのが、livedoorディレクターブログ(現LINE Corporation ディレクターブログ、2013年12月に運営終了)でした。当時はWebディレクターという職種の中では影響力のあるブログで、積極的に情報発信している点がとても魅力的に映りました。様々なディレクターが情報発信している輪の中に、自分も入りたいなと思ったんです。

ライブドアには開発ディレクターとして入社したかったので、ポートフォリオでは「この施策の狙いは何か」「数字がどのくらい伸びたのか」を伝えられるように意識しました。

僕のVOYAGE GROUP時代のメンターがライブドアに転職していたこともあり、たまたまライブドアの方とお話する機会がありました。そこで「こういうサービスを作りたいんです!」と伝えたところ、話を聞いてくれた方が似たようなサービスの立ち上げを考えていたことがきっかけで、ライブドアで働くことになりました。

Fablic創業。1人目のデザイナーの役割とは

平日はライブドアで開発ディレクターとして働き、週末は、のちにFablic共同創業者になる堀井兄弟とサービスを作っていたのが2010年頃です。実は一度、サービスづくりのリサーチのため、サンフランシスコのカンファレンスに行ったことがありました。そこではサービスのあり方がWebからアプリにシフトしていく状況を目の当たりにしました。CtoCサービスのスタートアップを多く見たことからもヒントを得て、2012年4月に堀井兄弟と一緒にFablicを創業しました。

Fablicが提供していたFRIL(2012年のバージョン)

初期のFRILロゴ

組織化、事業化を進めていた2016年9月、フリマアプリのマーケットが激戦区になりはじめ、Fablicは資金調達の方針を変えて楽天グループに入りました。その後、楽天のラクマとFRILを統合するプロジェクトが始まり、1年ほどかけてブランド統合を行いました。

そのプロジェクトが落ち着いたタイミングで「最近手を動かしてないから、リハビリで何か作ろうか」と共同創業者の堀井兄弟と始めたのが、現在のANGEL PORTです。起業家がエンジェル投資家を探せるプラットフォームで、エンジェル投資家として載っているのは事業をEXITして充電期間中の人が大半で、僕と似たようなタイミングの人たちだと思っています。Fablicでは最終的に1,000万人以上のユーザーを相手にしていたので、身近な人のために小規模サービスを作るのも面白かったですね。

── Fablicでのtakejuneさんはどのようなデザイナーでしたか?

Fablic創業時は、代表としてビジネスサイドを堀井翔太が、エンジニアリングを堀井雄太が担当し、ディレクションとデザインを僕が担当していました。ディレクションまでやっていたのは、デザイナーがディレクターの役割も担うことで、一気通貫したものづくりができるし、サービス全体の整合性が取れるという考えを持っていたからです。

創業メンバーかつ1人目のデザイナーに求められるスキルを挙げるなら、領域にとらわれずに、どんな仕事でも楽しんでやれることだと思います。 例えば、カスタマーサポートがパンクしたらメールの返信をしたり、資金調達が必要なときは投資家用の資料を作ったり、オフィスの引越しをしたり。初期フェーズはなんでも自分たちでやらなければなりません。自分の役割だけではなくそれを含めて楽しめる人は、1人目のデザイナーに向いていると思います。

僕自身、美大出身だけれど画力に絶対的な自信があるわけでもなく、器用貧乏キャラ。飛び抜けてできることのある専門職タイプではなく、どんなことでも大体できる総合職のスキルに加えて、デザインができるというタイプなので1人目のデザイナーになれたのだと思います。

── デザイン組織をどのようにつくっていったのでしょうか。

初期フェーズでは自分のような人総合職スキルを持つデザイナーを増やすことを考えました。事業が成長して仕事の幅が広がってくると、何か一つの専門領域に特化している人にお願いしたい仕事が出てくるようになりましたね。

事業のフェーズによってチームメンバーに求める職能要件が変わるので、その都度採用基準も変えていました。ただ、実際に採用する立場になってわかったのは、総合職のスキルを持つデザイナーは滅多にいないということです。例えば、デザインもディレクションもできるとか、Webもアプリもできるとか。

組織の成長に合わせて分業化を進め、組織自体が再現性を持てるようにしていきました。事業のフェーズが進んでいくと、僕自身はプロダクトマネージャー業務、ファウンダー業務、マネジメント業務を担うようになり、デザイナーとして手を動かすことはほとんどなくなりました。ごく稀に自分で修正などができる時は嬉しかったです(笑)。

── これまでのデザイナーキャリアで、転換期はいつだと思いますか?

一つ目は、新卒でインターネット業界のVOYAGE GROUPへ飛び込んだ時です。その頃、VOYAGE GROUP代表の宇佐美さんが「昇りのエスカレーターに乗れ」とよくおっしゃっていて、今でも心に残っています。業界自体が盛り上がっていないと、事業もうまくいかないという意味の言葉です。僕にとっては、当時インターネット業界という昇りのエスカレーターに乗れたことが大きな転換期でした。

二つ目は起業した時です。起業して、裁量権と意思決定の回数が膨大に増えました。自分たちで作った会社だから、誰も何も決めてくれない。全部自分たちで決めなきゃいけないので、何度も意思決定をしていく必要があったので、自分で考える力が磨かれたと思います。 そして、起業したことで、それまでのデザイナーとしての範囲を越えた視点を身につけられました。経営者や事業責任者の立場では、一部の範囲に限定したデザインについて考えても、本質的な仕事ができません。目に見えるデザイン、目に見えないデザイン、プロダクト全体、事業全体、会社全体…と、粒度の異なる領域を行き来しながら全体を作っていくことがデザインだと気づけたことは、起業がキャリアに与えてくれた大きな意味でした。だから僕は、一見すると「これデザイナーの仕事なの?」と思われるようなことも、全て連動していると思っています。

── これから意思決定が増えていく後輩のデザイナーに、メッセージをお願いします。

まずは昇りのエスカレーターに乗ってください。チャンスがもらえやすい環境に身を置き、意思決定の総量を増やしましょう。特に20代のうちはスキルがない分、経験豊富な人たちに勝っていくには時間で殴るしかありません。キャリアを走り初めのうちは、時間で殴ることをいとわない姿勢が大事だと思います。

・・・・・・・・・

デザイナーであり起業家でもあるtakejuneさんのキャリアを伺いました。デザイナーに求められるスキルが拡張してきている今、デザイナーは専門職ではなく、総合職と言えるのではないでしょうか。

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