「プロダクトへの熱量を伝播させる」鈴木伸緒さんが考えるデザインマネージャーの責務
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インタビュー

「プロダクトへの熱量を伝播させる」鈴木伸緒さんが考えるデザインマネージャーの責務

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今回インタビューしたのは、株式会社メルペイのプロダクトデザイナー/デザインマネージャーの鈴木 伸緒さんです。鈴木さんはご両親の影響でデザインに興味を持ち、大学でデザインや美術を幅広く学ばれた後、NYパーソンズに留学。帰国後は新卒で事業会社に入社され、その後2社の制作会社を経て株式会社メルペイに入社。現在はリードデザイナーとして活躍されています。デザイナーになるまでにどんな選択をしてきたのか。リードデザイナーとして考える責務とは。今後のキャリアパスを考えているデザイナーや、デザインマネージャーの方はぜひご覧ください。

今やらないと後悔する。移り変わる環境で触れたデザイン

── 本日はよろしくお願いします。まずは、鈴木さんがものづくりに興味を持ち始めたきっかけについて教えてください。

インテリアコーディネーターの資格を持つ母親、プロダクトデザインが好きな父親の影響で、中学の頃から建築・設計に興味を持っていました。母が発泡スチロールで作る建築の模型や家具を見て「めっちゃおもしろそうだな」と思ったことが広い意味でのデザインとの出会いです。 父親もプロダクトデザインが好きで、よく話していたのは「このマグカップは軽いけど重ねづらい」とか「このマグカップは、手が大きな人は指が2本しか入らない。空の状態なら指2本でも持てるけど、中身が入ると2本だと重くて支えられないね」とか身近なものへのこだわりの話でした。当時は「そういう着眼点もあるんだな」となんとなく話していましたが、無意識にものづくりに興味は持っていたと思います。

── そういったご両親の影響があって京都工芸繊維大学に進まれたんですか?

大学受験で悩んでいたとき、父から工業デザイナーの榮久庵 憲司さんの本を薦められました。榮久庵さんはキッコーマンの醤油差しなど数々の工業製品をデザインされた方で、彼の本を読んで「建築もいいけど、工業デザインの世界もおもしろそうだな」と感じたんです。「デザイン」の分野に初めて触れたのはこの時でした。

インダストリアルデザインが面白い―第一人者が教える“モノに命を吹き込む”極意

建築と工業デザインはエッセンスとしてはかなり似ています。もちろん建築もデザインなんですけど、いわゆる「工業デザイン」「インダストリアルデザイン」という分野に興味を持ったので、それが学べる学校を探し始めました。

僕は美術系の学校には通っていなかったので、デッサンなどの試験がある美大への入学は間に合わないだろうと判断し、すでに志望していた建築系の学科と合わせて受けられるような国立か公立で探しました。工業デザインを学べる学校を探していくうちに選択肢も絞られてきて、縁あって京都工芸繊維大学に入学することができました。当時は「工芸学部造形工学科」という専攻があり、そこでは建築や工業デザイン、グラフィックデザインなどを学ぶことができました。

── 大学で学んでいたことはどのような内容でしたか。

1年生の時はデッサンや絵画、デザイン、建築などを幅広く学びました。 毎週さまざまな教授から課題が出て、講評も定期的にあったので常に締め切りに追われながら生活をしていました。製図室に籠って作業をしたり、お互いの作品にフィードバックをしたり、美大生らしい生活でしたね。

2年生になると、当時流行し始めていたHTMLとCSSを使ったWebデザインに興味を持つようになりました。家でひたすらHTML辞典とかCSS辞典を読み込んで、自分でコードを組んで「文字列がブラウザに描画されてる!」と興奮して、どんどんのめり込んでいきました。大学2年の後半はほとんど大学に行かずに、Webデザインとコードだけ書いていました。

── なぜ突然、Webデザインをやってみようと思われたのですか?

大学で、建築、工業プロダクト、家具、グラフィックデザインなど広い分野を学びながら、「どれもアウトプットするまでに時間とお金がすごくかかるな」と思っていたんです。例えば工業プロダクトだと、金属がないとプロトタイプも作れなかったりします。でもWebは違いますよね。パソコンさえあれば世の中にアウトプットできるという早さと手軽さが、当時の僕にとっては最高に惹かれるところでした。

── なるほど。卒業後はNYパーソンズに進学されていますが、どんな経緯があったのでしょうか。

大学卒業後は、NYのパーソンズに行って、帰国後に初めて就職という流れでした。 なぜ留学を挟んだのかというと、大きな転機として大学の時にいつか追いつきたいと思う、尊敬する人が亡くなったんです。すごく身近なところで「できるうちにやりたいことをやらないと何が起こるかわからない、後悔する」ということを感じたので、大学3年生になってからは色んな活動を始めました。沖縄で自給自足のキャンプに参加してみたり、東南アジアに一人で旅してみたり。大学生の間じゃないとできないことをやりたいなと思って、これまで打ち込んできたデザインやインターネットとは離れて興味があることを赴くままに挑戦してみました。NYパーソンズに行くことはこの頃です。「いま行かないと後悔する」と思いましたし、社会人になってからだと行くことは難しい気がしたので、就職のことは帰って来てから考えよう!と思い切って進学しました。

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── パーソンズに留学して、自分自身が変化したことはありましたか?

相当変わりました。そもそも生活する上で「言わなきゃ何も始まらないな」ということを実感しました。嫌なことも「嫌だ」と言わないといけないんです。逆に、パーソンズで知り合った学生から「僕はデザインの仕事をしているんだけど、君も一緒にどう?」と誘ってくれることもありました。言葉にして発信することで、チャンスが増えていくという成功体験を学ぶことができました。

あとは、言語化スキルも身についたと思います。 英語という言語自体がすごくロジカルな言語で、喋ろうとすると自分の考えを整理する必要がありました。日本にいた時は、大学の授業でもそこまで言語化していないことも日本人同士だから伝わっていたんだなと思いました。 だから、日本語の擬音ってすごい便利だなと改めて思いました。「さらさら」「ざらざら」など手触りを音で表現する手段が英語にはありません。いつも「木を触っているような感触」と何かに例えて言わないといけないんです。すると「木にもたくさんの種類があるけど、どんな木だろう」とか、テクスチャの表現や手触り、感覚的な表現を相手にどうわかりやすく伝えるのか、言語化する努力を求められた環境でしたね。

待ちの姿勢よりも動きの姿勢。事業会社から制作会社へ

── NYパーソンズを卒業後の就職活動について教えてください。

僕は留学に行って、リーマンショックと一緒に日本に帰ってきちゃったんです。半年くらいはフリーターをしながら就職活動をしていました。新卒で就職したのは不動産系のポータルサイトをやっている事業会社です。元々、建築を学んでいた経験から「インターネットの仕事を建築系の事業と掛け算して仕事できたら最高だな」と思っていたんです。 でも、新卒のうちから自分が思い描くようなデザイナーの仕事は自分の力不足もあり、任せてもらえませんでした。自分も当時は「待ちの姿勢」だったところがよくなかったのですが、結果的に入社1年後からは転職活動をはじめ、制作会社に行くことにしました。

── 結果的に制作会社に進みますが、新卒で事業会社を選んだのはなぜですか。

単純に「制作会社って大変そうだな」と思っていたからです。表面しか見ていない学生だったので、あまりツライことはやりたくなくて「そこそこのペースで働きたい」っていう気持ちは強かったと思います。薄い学生でした(笑)。

あとは「ひとつのサービスにとことん向き合いたい」という気持ちは当時からありました。振り返ると、スキルを身につける手段として制作会社という位置付けが僕の中にはありましたが、入ってみると高いレベルで質や納期に向き合っている周囲の先輩を見て、吸収したいと思うことがたくさんありました。

スキルを磨くために入った制作会社では、主に企業のコーポレートサイト制作をしていました。入社して1ヶ月くらい経ったある日、いきなりディレクターから「Flashできる?」と聞かれて。知識もなかったし出来なかったけど「はい、できます!」と引き受けたことがあるんです。Flashができるエンジニアさんと一緒に作っていたんですけど、自分はわからないことだらけだったので、調べたり教えてもらったりしてひたすら進めました。やるしかない状況でプロジェクトに入って、自分でどうにかするしかない状況で、それまでの中でもっともドキドキする体験だったことを覚えています。

制作会社に行くからには、やれることは全部やると腹を括っていました。だから、やったことがないことでも絶対に断らないと決めていました。当時は大変だったと思いますが、振り返ると楽しかった思い出が多くて、今となっては財産です。すごく学びが多くて、僕の中でデザインに対する解像度が高まった期間でした。制作会社に在籍していたのは2年でしたが、自分の中では4年くらいいた感覚です。就職も遅かったので、1万時間を1つの目標に、この環境で2,3年分を取り返そうと働いていました。
これは、制作会社に行けば短期間で密度の高い経験が詰めるということではなく、当時、制作会社が一番仕事が集まる業態だったからです。 振り返ると、仕事が集まっており、解像度の高いフィードバックを人からもらえる環境に身を置くことが大切だったんだと感じます。

── 学びが多い環境から、次のステージに移ったきっかけは何ですか。

制作会社で働いていた時、iPhone 3GSが発売されたんです。アプリケーションをダウンロードした瞬間、「作りたかったのってコレかも」と感じました。ホーム画面に自分が作ったアプリケーションがあるということは、その人の家の家具を作ることと似ていると思ったんです。

Webサイトには「訪問しないと見ることができない」という刹那的な面がありますよね。しかも、当時は定期的に有効期限を呼びかけてくれる手段もなくて。でも、アプリケーションだったらプッシュ通知が来るし、人の生活にもっと踏み込んでいける気がしました。例えるならば、ホーム画面に残ったアプリケーションは、自分の部屋に置いてある家具のような感覚になり得るのではないかと思い、一気にアプリケーションへの興味が沸いてきたんです。それからは自社アプリの立ち上げのデザインを提案したり、スマホ向けWebサイトの案件に手を挙げたりして、気がつけば実績がいくつか出来上がっていました。

そんな当時、サイバーエージェントがサービスを100本作るぞと謳っていて、それだけサービスが生まれるなら、もしかすると自分もいくつかのサービスに関われるのではないかと思い入社を決めました。2012年5月のことです。

── サイバーエージェント時代、印象的だった出来事を教えてください。

入社後は写真共有サービスや、スマートフォン投稿に特化したブログサービスなどを担当しました。最後に担当した「Ameba Ownd」での仕事が今も記憶に残っています。 Ameba OwndはWebとアプリケーションの両方があり、親サービスがWebということもあり、ディレクターはWebの仕様を進めていたのですが、アプリケーションチームにはPMが不在だったんです。AndroidとiOSエンジニアが各3人、デザイナーは僕1人でした。何としてもこの6人の手が止まってはいけないと思い、自然とデザイナーとPM(やるやら内の判断・仕様策定・スケジュール管理)、最終的にはアプリケーションのスクラムマスターも兼ねていました。予期せず学ぶことになったというか、「やらなきゃ終わらない!」に近い状況でしたが、このとき初めて「PM」という仕事を意識しました。振り返ると今にも繋がっていると思います。

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PM兼デザイナーから学んだ「伝える」ことの大切さ

デザイナーとPMの兼務を経験し、立ち上げフェーズで自分が経験したいと思うことは経験できた満足感がありました。ただまだ自分が経験できていないのは、サービスをどのように伸ばしていくのか、という部分。そのために、自分の中で「よりユーザーにフォーカスしてサービスを作りたい」という気持ちが強くなりました。そのタイミングでメルカリからオファーをもらい、僕がアプリケーションに惹かれた要素でもある「人の生活に密接に関わる」ようなサービスだと感じたため、入社を決めました。

── 入社後はUS版、UK版メルカリのアプリケーションをデザインされていますが、どのようにプロジェクトは進んでいたのですか。

入社すると、ほとんどのメンバーがUS版のプロジェクトを担当していて、僕も日本にいるのUSプロダクトチームに入り、現地とリモートで仕事をしていました。分かってはいたものの、思ったよりいきなり英語を使う機会が多かったことに初めは驚きました。グローバルなプロジェクトをやってみたいという思いは元から持っていたので、「英語を勉強してから英語環境に入るより、入ってから吸収する方が手っ取り早いな」という感想を持ちました。

US版メルカリのUI(2018年3月時点) 画像出典:https://mercan.mercari.com/articles/2018-03-22-174628/

US版は日本で開発をしていたのですが、2016年にUSにデザインチームができたタイミングで40日間くらい出張をしました。大変ではありましたが、僕の中ではその経験がエキサイティングで、今にも活きていることをたくさん学べました。 現地のデザイナーに対して感じたことは、イエスやノーがハッキリしているので、意思表示がとても明確なことが印象的でした。また、出身国・人種異なるメンバーいるプロジェクトやデザインチーム働いてきた経験がある人が多いので、「言語化しなければ伝わらないし、意見が違うことが当たり前」という日本との環境の違いが衝撃的でした。また、それをどうまとめるかということがマネージャーに求められるんだ、と感じました。 その後、US版メルカリのデザインチームから離れるタイミングで、UK版が始まろうとしていました。英語で現地チームとやりとりできるデザイナーが少なかったので、2017年からはUK版を担当させてもらいました。

UK版メルカリのUI(2018年7月時点)
画像出典:https://mercan.mercari.com/articles/2018-07-12-170000/

── グローバルプロジェクトを経て、メルペイへ異動されてからはどんな役割を担っているのですか。

異動は「メルペイを手伝ってくれる人を募集します」という社内公募を見て、アプライしたことがきっかけです。僕たちの生活に必要なインフラでもある「お金」を、メルペイというサービスを通して身近に、わかりやすく伝えるというとてもチャレンジングな仕事だと感じました。

初めはデザイナーが4人からのスタートで、立ち上げのメンバーであるデザイナー佐久間と共にプロダクトの全体像を作ってみんなに共有できるようにしようと話していました。

とても4人では足りないことが分かってきたのですが、当然見せられるプロダクトは何もありません。ですので、採用サイトの立ち上げに参加してメルペイのカルチャーを発信したり、Twitter経由や友人に声をかけたり、自分が使えるものは全部使ってデザイナー採用を進めました。

その後、社内外からメンバーが加入し、マネージャー1人だけでは物理的な時間として回らなくなってきました。もともとメルカリは1チーム8人体制で、それ以上メンバーが増えるとマネージャーを増やす相談をしています。そこで、マネージャー永尾を中心に佐久間と私の3人でデザインチームを分割してマネジメントする体制になりました。それが2018年11月ごろです。

── マネジメント業務に携わると手を動かす時間は減りますが、そこに対してはどう思われていたんですか?

確かに今までと同じ働き方では、作業時間は減りますね。でも僕の中では、自分が何をするかは二の次で、チームがうまく回ることが重要だと思っています。メンバーのピープルマネジメントをした上で、自分も手を動かして作りたいのであれば、時間を捻出するか、動き方を変えるしかありません。 どうすればメンバーのピープルマネジメントをしつつ、自分が作りたいプロダクトにデザイナーとして関われるか。とてもチャレンジングだなと思います。

マネージャーになるまでは、ピープルマネージメントが主なマネージメントの仕事で、タスクを振ったり、リソースを管理したり、自分では手を動かせなくなるのかなと思っていましたし、そういう印象が強い役割だと思います。

でも今は「マネージャーをしていても作りたいから作る」というプロダクトへの想いをどれだけ持ち、それを伝えられるかを試されていると思っています。

── 「プロダクトに対する想い」を持つこと自体が大変なことなのではと思いました。

僕がメルカリに入った時のモチベーションは、お客様に向き合える機会が多いサービスを作っている会社だったことです。今でも「お客様から直接フィードバックをもらえる」という機会自体がとても貴重だなと思っています。

僕はメルペイに立ち上げから関わっている身として、「想い」やプロダクトに対する「熱量」は伝播させる責任があります。単純に彼らにプロジェクトを振っていくスタンスではなく、想いを言葉にして伝えていくことを大切にしたいんです。

── プロダクトへの想いを伝える上で意識していることはありますか。

あまり背伸びしないことです。「マネージャーだから」といって遠慮や我慢をしたり、大きく見せようとしても、すぐに分かってしまう。だから大変だったら大変だなと言いますし、リリースして嬉しかったら嬉しいと言います。青臭いなとどこかで思いつつ、「自分がどういう考えでこの機能を作っているか」「メルカリのデザインってなんなのか」「この機能を使うお客さまはどういうことを感じるのか」ということは、感じた時にメンバーに伝えるようにしています。

画像出典:https://jp.merpay.com/news/2019/02/ios_release/

── 2019年2月にメルペイをリリースされてから、どんな変化や手応えを感じていますか。

メルペイはペイメントサービスの中でも後発なので、まだまだこれからですが、時代的にはギリギリ間に合ったのかなという印象です。 そもそもメルペイはメルカリという大きな母体がある中でリリースされたペイメントなので、僕がこれまで経験してきた1からお客様を集めるサービス立ち上げとは作り方が大きく異なります。その分「メルカリのお客様にちゃんと使っていただけるように作る」という意識でチームで駆け抜けてきました。

── 最後に、今後のメルペイにご自身がどう関わっていきたいか、それに伴うキャリアの展望などを教えてください。

基本的に、マネージャーがいなくてもうまく回る組織をチームとして目指したいなと思っています。それぞれのメンバーが意思決定して進めて行く方が自由度も高いし速いので。意思決定してもらう機会を作ることと、意思決定のサポートはかなり意識してやっています。

ただ、どうしてもメンバーみんなの間に落ちるような複雑な仕事があるので、そういう時に全力で手を動かしています。難易度は高いですが、一番自由に動き回れて、メンバーの役割とも被らないので。

僕は作るモノは「画面」である必要はないと思っています。機能と機能を繋いだり、オフライン含めた体験やサービスの全体像を作ることも「デザイン」と言えますよね。 僕の根本には「インターネット上でサービスを作りたい」よりも「自分の周りの生活を豊かに、良くしたい」という想いがあります。それが建築やインテリア、プロダクトデザインをやりたいと思うきっかけだったので、これからもその軸は変わらないと思います。だからこそ、自分が1年後に何をしているかは分かりませんし、むしろそれが楽しみですね。

── 最後に一言、今後のキャリアに悩んでいるデザイナーに一言お願いします。

20代と30代で仕事の仕方が変わると思います。20代ってなんでも吸収するし、伸びている実感が持ちやすいんですよね。褒めてくれる人も周りにいるし、どんどん「アシスタントのデザイナー」から「メインのデザイナー」になっていける時期です。 僕が26歳で初めて就職したこともあって、20代から30代になるにつれて周りからの目線は違うんだなと実感しました。

30代になるとそれほど褒めてはもらえなくなりますし、今ままでと同じことをやっていても成長実感が持ちづらくなります。自分が乗り越えてしまったから「またこれか」と感じてしまうことが増えてくると思うんです。そういう時に新しい分野や新しいスキルを習得できる環境に行くと「できると思ったけどできない」という壁にぶつかります。

僕自身がまさにそうで、US, UK版メルカリを担当していた2年間、ほとんどと言っていいほど何もうまくいきませんでした。メルペイに異動してからも様々な壁がリリースまでにありましたが、過去2年間で失敗したことがたくさん活きていることを実感しました。 30代からはスキルの伸びを実感できるまでの期間が長くなるからこそ、腰を据えることも重要ですし、折れずに頑張るためには「どんなに大変でもこれがやりたい」という強い想いも、成長実感するには必要です。とは言え、そんな好きなことなんてなかなかないし、やってみてから好きになることの方が多いかもしれません。嫌ならいつでも諦めたっていいと思うんです。でも、諦められない何かがあるなら、それは向き合う価値があるってことなのではないでしょうか。

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