「デザイナーという職業にこだわらない」山下あか理さんが実践する、逆張りのキャリア作りとは?
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インタビュー

「デザイナーという職業にこだわらない」山下あか理さんが実践する、逆張りのキャリア作りとは?

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今回お話を伺ったのは、400Fで活躍される山下あか理さん。新卒でWebサービス開発のデザイン・ディレクションを多数経験後、CyberAgent Americaの立ち上げメンバーとして渡米しゲーム・広告アプリのUIデザインを担当。帰国後はフリーランスとして様々な企業のサービス立ち上げに設計から携わり、2017年からお金のデザイン・400Fに参画されています。山下さんが新卒から今に至るまでのキャリアをどのような軸で考えてきたのか。会社員とフリーランス両方を経験して分かったこと、働く上で大切にしてきたことなどを伺いました。

──本日はよろしくお願いします。今回は、山下さんの現在までのキャリアについて詳しく伺っていきたいと思います。まずは、幼少期から学生時代のことを教えてください。

私は徳島のど田舎で生まれ育ちました。どのくらい田舎かというと「小学校が全校で10人程度、獣道を片道2時間かけて歩いて登校する」という、都市伝説レベルの田舎なんですよね。小学校のランドセルの横の部分に、リコーダー挿す部分あるじゃないですか。あそこに私は鎌を挿して登校してました。登下校途中の道で出会うマムシを撃退するためです(笑) なので、そんな自分が東京やアメリカでデザイナーをしているなんて、当時は想像していませんでした。

中・高生の頃は1996年、やっとインターネットが各家庭に普及されたというくらいの時代です。そんな田舎者の自分が想像できるキャリアは、本当に狭い世界のものでした。周囲の大人や、テレビや本で見た知識の中でしか「職業」を考えられない。「自分は何になりたいんだろう」と、矮小な自己知識だけで手探りをして悩んでいたように思います。

田舎なので一緒に遊ぶ友達も少なく(お互いの家が遠い)、絵を描いたり作曲をしたり楽器を弾いたり同人ゲームを作ったり、そういった一人でできるものづくりにのめり込んでいきました。同人誌を描いたりもしていましたね。自分の作品が物理的に本やゲームになってこの世に形として現れてくることが本当に嬉しかったのを覚えています。 「ものづくりのことなら私はいくらでも時間をつぎ込めるんだな」という自分の素養や情熱の源泉に、ぼんやりと気づいたのもこの頃でした。

高校時代は勉強も禄にせずそういった創作活動に精を出していて、なんとなく「音楽の先生になりたいな」と考えていました。でもそれはよくよく考えると「自分が熱中できる対象の範囲内で自分が想像できる仕事」=音楽の先生くらいしか知らなかったというだけなんです。

「まずは将来を選択するための知識と見聞が必要だ」と考え、慶応義塾大学の文学部へ進学しました。東京に行けば「クリエイティブな仕事」に近いところにいけるんじゃないか?っていう本当にそれだけの単純な理由でした。18歳って今考えると本当に何も知らなくてバカで、だからこそ自由だったなあと思います。

入学後は、ライターのアルバイトをしてみたり音楽活動をしてみたりと手探りでいろんなことにチャレンジしました。2年の進学時にたまたま図書館情報学を専攻し、そこで初めて簡単なプログラミングやインターネットに出会いました。

図書館情報学は司書になるための専攻のように思われがちなのですが、情報検索やシステム開発の基礎知識,データベースなど、InformationArchitectureと呼ばれる分野の勉強もできます。見よう見まねでプログラミングをしたり、Webサイトを収集してきてMecabと呼ばれるエンジンで形態素解析をしてみたりと割と理系っぽい研究をしていました。優秀な学生ではなかったのですが、「インターネット・パソコンって面白いなあ」と思うきっかけになりましたね。

──もともとデザイナー志望で就職活動されていたんですか。

音楽や絵やプログラミングなど、創作すること自体は好きでしたがそれが職業に繋がるというイメージがあったわけではありません。周りに合わせてとりあえず就職活動をしてみたりもしましたが、「これが本当に自分がやりたいことなのだろうか」という疑念がずっと拭えませんでした。

就職活動って集団で同じ格好をして同じ面接を受けて同じような受け答えをして…それがたまらなく嫌で、怖くて、平衡感覚を失うような違和感がありました。

私には少し変わった父がいるのですが、彼に「みんなと同じことはするな」と言われて育ったことが大きかったと思います。 「平凡な能力の人間ほど逆張りしないと駄目だ、目立って変なやつと思われて、バカにされるような選択をしてこそ人生だ」と彼はよく言っていました。なので「予測できる選択肢の中に本当の人生はない」という思考は今も私の中に根強く残っています。

IT業界+クリエイティブという点から「Webデザイナーをやってみようかな」と思い立ったのはこの頃です。大学の先生に相談したら「デザイナーなんて食えないぞ、やめろ」と大反対されました。大学の友達にも何で?と言われましたね。 私が就職活動をしていた2008年頃って、今のようにスタートアップ企業も多くなかったですし、デザイナーの新卒採用をしている企業も少なかったんです。専門的な技術があるわけでもない、未経験の人間をデザイナーとして雇ってくれる企業は殆どありませんでした。かろうじて就職できても給料も安い。周囲には大反対される。

なので思いました、「みんなが反対してるなら、これだな」って。

──新卒として入社した会社を決められたきっかけはなんでしたか。

サイブリッジという、現会長の水口さんと現メルカリ取締役の濱田さんが在学中に立ち上げたベンチャーに入社しました。水口さんは学生結婚をされていて、大学を休学してWebデザイナーとして働き、大学を中退してWeb制作会社を立ち上げたという思い切りのよい人で、「あ、この人面白いな。一緒に働いてみたいな」と思ったのがきっかけです。未経験でも何でもチャレンジさせてやると言われたこと、また同い年の人たちが学生の頃から会社を経営しているという、自分とは縁のなかった世界に関わってみたくて入社を決めました。

──デザイナーとして入社されたんですよね。実際に入社してみて、どうでしたか。

技術は仕事で通用するレベルではありませんでしたから、頼まれたこと・目の前の仕事は成長の糧だと思い何でもやりました。デザイン・コーディング・システムの組み込みに始まり、コンペ営業、自社メディアのリスティング管理、出稿のライティング、子会社の運営など、自分にできそうなことはすべてやっていました。

私が意識していたのは、どんな仕事もこれは自分の仕事じゃないと思わないこと。技術も知識もない自分のような人間は、「仕事の範囲を自分で決めたら絶対にだめだ」と思っていました。私のような何もない人間はそうやって成長するしかないんだ、と。

今もよく、若手のデザイナーさんに「UIをやりたいのに他の雑務もやらされる」という相談を受けます。これについては事象そのものに是非はなく、正解は自分の中にしかないと思います。デザイナーとしての職能スキルだけを考えると手を動かすデザイン以外の仕事は無駄になる場合も多いと思いますし、事業を作ることそのものに興味があるなら周辺の様々な物事に取り組んでも損はないと思います。自分がどういうデザイナーでありたいのかを意識してスキルアップに取り組むことは大事ですよね。

サイブリッジ時代は本当に激務だったのですが、全て代理店を挟まない仕事だけを受けていたので、直接自分たちで様々な経営者に会い、議論し、ダイレクトにやりたいことを吸い上げて一緒にものづくりをする、ということが出来ていた点が良かったと感じます。大体このくらいのサービス規模だとこういう悩みが起きがちだな、などケーススタディも増え、サービスを作るという一連の作業を技術を超えた広い視点から捉えられるようになったと感じます。

アメリカでの立ち上げへ挑戦

──サイバーエージェントアメリカはどういった経緯で参画されたんでしょうか。

がむしゃらに働いていたので少し休憩しようと思い、区切りのいい3年間で退職しました。次の仕事のことは全く考えずにやめました。楽観的なんですよね笑 ちょうどその頃、私の働きぶりを知ってくださっていた社外の方から「アメリカでサイバーエージェントの支社立ち上げをやるから参加しないか」とお声がけいただきました。 英語は話せない、ゲームUIもアプリUIも作ったこと無い、海外経験も殆ど無い。だからこそ「面白そう!」と思って即OKしました。頑張っていると誰か見てくれてるもんだなあ・・・と自分の3年間に感謝しました。すぐサンフランシスコに飛んで、現地ではスマートフォンのゲームプラットフォームやゲームのUIデザイン、ブーストメディアの立ち上げなどに携わりました。

──海外で働くってどうでした?

英語があまり喋れない状態で渡米してしまったので、当然言語の壁にぶつかりました。技術的な部分では自分にできることもありますが、ミーティングなど言語的なファシリテーションが必要なシーンでうまく意思を伝えられないなど、デザインとは別の悩みが大きかったです。 また、デザイナーはグラフィックスだけではなく、UXに関わるようなライティングの業務もありますから「この文言のニュアンスは合っているのだろうか」「文化的にこういうコンテンツはどう受け止められるのだろうか?」など、答えの見えない中での制作はとても難しかったなと感じます。 それでも同僚に恵まれとても楽しい時期を過ごす事ができました。ただ、大学での専門学域がデザインではないこと・大学院を出ていないこと、等から技術者ビザを取ることができず、1年半のビザ期限が終了した時点で帰国しなければいけませんでした。

──アメリカから帰ってきて、次のキャリアにフリーランスを選んだ理由を教えてください。

実家が自営業・両親も専門職なので独立するということに対して特別なイメージはありませんでした。「30歳くらいでフリーランスをやってみようかな」という考えはうっすらとありましたが、特に決めていたわけではありません。 仕事が一息ついたので「次は何しよう?自分にとって新しくて、まだやったことのない道にしたいな。」と考えていたら結果ここに行き着いたという感じです。 この時もまたお得意の楽観モードを発動し、とりあえず…という見切り発車の状態で個人事業をスタートしたのですが、今までの経験を通して多くのIT業界の方々とご縁ができており、そういった周囲の方々に助けられて順調に仕事を継続することができました。

フリーランスと会社員の働き方に違いはなかった

──フリーランスをやってみてよかったこと、大変だったことはどんなことですか。

よく聞かれる質問ですが、フリーランスだから(会社員だから)何かが違うか?というとそこに殆ど大きな違いはないと私は思っています。デザインの仕事って、その規模の大小はあれど結局「あるべき目標に向かって、チームで協力しものづくりをする」という非常にシンプルなことでしかないんですよ。 フリーランスか会社員かって、結局契約形態の問題でしかないですよね。税金の知識が身についたり会社員時代より収入は良くなりましたが、本質としては大きく変わらないと考えています。

──フリーランスと会社員があまり変わらないという視点は面白いですね。

以前は「副業禁止」の会社も多かったですが、今はその規制が減っています。「組織に所属する自分」ではなく「個としての自分」に価値を置く時代にシフトしているのを実感します。 どの組織に所属してどんな肩書を持っているかではなく、「自分はこれをやる(できる)人間だと表明し、それを実行することが仕事だ」という時代に変わってきていると思います。立場やしがらみではなく、プロジェクト(コト)に対して何ができる人間なのか、という点で人が評価されていくのは合理的ですし、とても良いことだと思います。 フリーランスか会社員かなんてただの法律上の問題でしか無いわけですから、全然関係ないと思いますよ。

フリーランス時代に作っていたサービスの一部

デザイナーという職業にこだわらない

──そこからお金のデザインへ転職されたんですね。

自分の生活や今後の人生を考えた時、自分にとって悩みが大きく真剣に考えたい問題は「お金」に関することでした。フリーランスを4年ほどやってみて、「自分が本当に真剣に悩んでいる領域でものづくりをしたほうが面白いな」という想いを抱いていたことがきっかけです。 また、金融は法的な規制も大きく、またデザイン面でもレガシーな部分の多く残る領域ですから、デザイナーの自分にできることが多くあるのではないかと考え入社を決めました。 THEOを運営するお金のデザインは証券会社です。これまで自分が知らなかった分野の理解が深掘りされたことで、デザイナーとして関わる領域が「広く」から「深く」になったことは大きな経験でした。

──なるほど。キャリアの選択時にご自身の周りの課題とか事業領域で結構絞られたんですね。

ものづくりが好きで始めたデザイナーという仕事ですが、私自身はデザイナーという職業に対してこだわりを持っているわけではないんです。役割があって関係性が産まれるわけではなく、その逆で、「事象や関係性が先にあり、目的があって初めて役割が生まれるもの」ですよね。

「私はデザイナーなので」と思っていると、自分の可動領域を狭めるだけでなく、本質的にチームが作りたいものを見失うと思っています。会社やチームにより、スコープもマイルストーンも事業性もアセットも異なるわけですから「私はデザイナーです、なので**をやります」というスタンスで参画するよりも、「作りたいプロダクトのために今自分ができることはなんだろうか」と考えるほうが自然です。

今はお金のデザインの子会社で400Fという会社を立ち上げ、「お金の健康診断」 というサービスを作っています。投資や保険、貯金、家計事情といった誰に相談していいのかわからない悩みを、ファイナンシャルプランナーに無料でチャット相談していただくことで、お金の疑問を解決し、将来に向けての指針が建てられる。気軽に相談できないデリケートな悩みだからこそインターネットとの相性は良いと思っていて、お金のことで悩む方のサポートができればと考えています。このサービスでは設計・デザイン・フロントエンドを担当しました。

現在、運営中のサービス 「お金の健康診断」

──将来像の見通しはありますか?どう考えているかまでをお聞きしたいです。

私のキャリアって行き当たりばったりなんです。その時々で「私はここでやりきった」って思ったらすっとやめて、また何か始める。その繰り返しです。長期的なキャリアを描いたことは殆ど無いですし、そんなに意味のないことだと思っています。時代のほうが先に変わっちゃうじゃないですか。

人生100年時代と言われていて、人の寿命はどんどん伸びて、新しい技術が増えて、昔の人がやったこともすぐ形骸化する。そんな中で「40歳までにどうなりたい」とか、一方向の時間軸ベースで考えることがそこまで重要なんでしょうか。

加えて女性は、出産という身体機能の制約を伴うライフイベントも控えている場合がありますよね。あとは男女問わずですが身内の介護とか、自身の病気とか。予測できないことだらけの中で、「長期的に自分はこうなるんだ!」というキャリアプランを立てても、それがずっと時代や自分の状況に即しているとは限らない。もちろん、長期的に計画が立てられる人は立派だと思うんですが…自分には向いてないなと思います。

──なるほど。では短期的なキャリアを選択される際に意識されていることはありますか?

自分がこうなりたいという軸よりも、「目も前の仕事が何かしら社会に価値を提供しているかどうか。それをやってて楽しいか。夢中になれているか。成長痛があるか。」を意識しています。自分がやっている事業を本当に必要としてる人がいて、それに対してできることがあるんだったら、どんなことでもやっていきたいと思います。

今は個人としてはFintech領域でサービスを作っていきたいという考えが強いので、お金の健康診断のほかにも、GincoというブロックチェーンのベンチャーでもUI/UXデザイナーとして働いています。仮想通貨・ブロックチェーンの事業なんて10年前には殆どの人が想像していなかったわけで、何も知らないのに悩み続けた自分の「将来こうなりたい」みたいなwannabe的思考なんて、意味なかったなあと思うんですよね。高校生の自分に教えてあげたいです。

──ReDesignerやその読者に対して伝えたいメッセージがあれば最後にいただければと思います。

デザインにもキャリアにも正解はないから、違う環境の人が言うことを気にしないのが大事だと思います。デザイナーと一言で言っても色んなタイプ・色んな仕事をしているデザイナーさんがいます。時に自分と宗派の違う人から批判されることだってあります。デザインて、残酷にも目に見えちゃいますからね笑

良い意見は真摯に受け止めつつ、「何が正しいデザインか」なんていう正解を見つけようとしなくていいし、自分が楽しんで好き勝手やるのが大事だと思います。 目の前のものづくりを楽しむ、プロダクトをよくするために全力で何ができるか考える。そのために成長する。健康に気をつけて、美味しいものを食べてよく笑う。とにかく情報が多い現代だからこそ、周りの人がなにやってるか、自分のことをどう評価してるかなんてことは気にしすぎないようには私も気をつけています。

それよりも自分が今、この会社で、事業で、プロダクトで、やりたいことってなんだろうか。チームメンバーとうまくやれてるのか。この事業領域で何をしたいのかに軸を置いて、ブレないようコトに向かう姿勢を大切にしていきたいですね。

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